2018年度【上農になろう!】稲刈りツアー レポート

1.田んぼに集まれ!

10月21日、日曜日、天栄村は本日も晴天なり!
田植え、草刈りに続き、わが社TFCはハレの日の天候運にかなり恵まれているようだ。

きれいに澄み切った秋の青空のもと、わずかに紅葉ののぞく妙見山、そして天栄村を東西に貫く釈迦堂川に沿って広がる一面の田んぼ。そのほとんどはすでに稲刈りが終わり、私たちの「これからの田んぼ(写真上)」を残して写真下のような光景が広がっていた。煙が出ているのはコンバインで刈り取られ脱穀された〈もみがら〉や〈わらくず〉をまとめて焼いた跡だ。これらは田んぼに鋤きこまれることもあり、そのまま来年の米を育てる養分となる。

この日の朝10時に「これからの田んぼ」に集まったのはTFC(稲穂メンバーおよびそのご家族、早苗メンバー)、村の農家さん、関東から来ている若い衆、南三陸から農事のたびに駆け付けてくれるグループ、前日の「田んぼを楽しもう」ツアーから引き続き参加してくださる方、金井・紅野ご夫妻、さらに撮影・記録係の私といった、実ににぎやかな顔ぶれだ。
それに加えて今回は特別に、途中から八王子の〈みどり幼児園〉の有志メンバー(園児たちと保護者・先生)の皆さん、十数名も稲刈り作業に参加することになっている。

今回の稲刈り作業全体のリーダーは、早苗メンバーの土屋遥一朗。年齢も背景も異なる参加者をまとめ、事故のないように手順や注意点を説明する。耳を傾ける参加メンバーたち。
一株を左手でつかみ、右手に持った鎌で「えいやっ」と刈り取る。鎌はよく研がれており、稲を刈り取る手ごたえも滑らかだ。よく切れる鎌のほうがけがをしにくいともいわれる。

今年の夏は連日の炎天下、高温が続き、秋にかけては大型の台風が続けてやってきた。倒伏(生育を妨げ収穫を困難にする)や高温による成長不良など不安要素も多かったが、メンバーによるこまめな田廻りや必死の立て直しの甲斐もあって稲は力強く育ち、大きく損なわれることもなく、無事に収穫の日を迎えることができた。

稲を鎌で刈り取ったあとは三束ずつほどにまとめて、ほどけぬように稲わらでしっかりと結わえ、あぜや既に収穫が終わった畝へと積み上げていく、それをすべての稲を刈り終えるまで繰り返す。刈り取りは刃物を使う作業なので、特に慣れないうちは慎重だ。しかし一度要領をつかむと、他のメンバーに気をつけながら全員が次々と進んでいった。
ここで積み上げた稲束は、後で語るが、〈さでうま〉を組んで一週間ほど〈さでがけ〉する=乾燥させる。乾ききったところで脱穀→精米し、ここで初めて食べられる新米となる。

上空からは、紅野先生の操縦するドローンが稲刈りの様子を見下ろし、動画を撮影している。

※なお、現代の多くの農家がそうしているように作業を機械化した場合、刈り取り→結束→乾燥→脱穀までの工程をすべて一台の機械、すなわちコンバインを用いて半自動的に一度に行うことができる。コンバインは「複合」という意味であり、一台で収穫用と脱穀用の機能をあわせ持つため、こう呼ばれる。
コンバインの普及前は、バインダーという機械で刈り取りと結束までを行い、ハーベスターという機械で乾燥と脱穀をする、という形が一般的だったという。バインダーは取り回しがしやすく小回りが利くので、現在でも小規模な水田や山間部の水田などで収穫に普通に用いられている。
(バインダーは本記事でも後で登場します)

2.子どもたちがやってきた!

作業開始から小一時間も経ったかというころ、田んぼの横の農道に一台のマイクロバスが到着した。中央道から東北道を経て、八王子からはるばる250キロの道のりをやってきた〈みどり幼児園〉グループの到着だ。

〈みどり幼児園〉は、TFCも稲穂メンバーを中心に、以前から園内の小さな田んぼの田植えなどに協力している、八王子市の高尾山のふもとにある幼児施設だ。園長の斎藤弥生先生はじめスタッフの皆さんが、園内での米作り活動や映画の上映会などを通じて、お米の魅力や、天栄村の震災以降の復興・放射能汚染除去への取り組みについて広めてくださっている。

子どもたちは、普段あまり見慣れない水田の光景に興奮気味。園のある高尾山の近辺も山を中心とした自然豊かな土地だが、畑は多いものの、天栄のような広々とした水田の光景は近くにない。
はやる気持ちを抑え、土屋と代表・吉成が園児そして保護者・先生たちに稲刈りの手順を説明する。園にも小さな田んぼはあるが、大きな田んぼでの作業は初めてという人が多かったようだ。それから、保護者の方そして子どもたちに一本ずつ鎌を手渡していく。

まだ3歳から5歳くらいの子どもたちだから、刃物の取り扱いにも細心の注意を要する。しかし、鎌を持ってふざけたりする子は一人もおらず、だれもケガをせず無事に稲刈り作業を終えることができたのは幸いだった。
最初は恐る恐るのように見えた子どもたちの手つきも次第にそれらしくなり、肩を並べ、集中して稲刈りと結束を進めていく。
子どもたちも、お父さんお母さんたちも、先生方も、休まずにいっしょうけんめい手を動かし、体を動かし、みんなそれぞれ本当に生き生きとしたいい表情をしていた。

〈みどり幼児園〉グループの合流から小一時間、休憩タイムがやってきた。しばし手を休め、お茶やスポーツ飲料など思い思いの水分を補給し、手づくりのキャロットケーキやくだものなどを食べて気力も補給する。
子どもたちはさすがに元気なもので、おやつを食べ終わるとすぐに、稲刈りの終わったお隣の田んぼで鬼ごっこなどを始めた。それも、みんなが思いっきり全速力で走っている。まさしくエネルギーの塊としか言いようがない。

3.〈さでがけ〉がんばれ!

稲刈り時期の〈さでがけ〉の光景は、昔はどこの米どころでも見られたというが、米作りの機械化が進んだ現在は目にすることも少ない。刈り取りに加えて〈さでうま〉を作るのにも相当の手間がかかるし、場合によっては稲束の重みに耐えきれず、写真のようにぐにゃりと曲がったり、倒れてしまったりすることもある。

〈さでうま〉は〈はざうま〉ともいい、漢字で書くと「稲架馬」、すなわち稲を掛ける馬。稲束を纏うと、ふさふさと毛の生えた動物のようにも見える。お米の最後の出来ばえを決定づける、運命の馬だ。

休憩が終わって、大人たちは田んぼの先輩たちの指導のもと、〈さでうま〉の組み立てを始めた。両端は三本、中間は二本の棒を組み合わせて麻ひもできちんと結び、段差がつかないように調整しながら組み上げる。ぬかるんでいるところもあるので、なかなか大変な作業だ。まっすぐになったことを確認して、上に太い竹竿を渡し、最後に足と竿を結わえつけて完成となる。

〈さでがけ〉は、刈り取り束ねられた稲束を逆さにして手に取り、束ねた部分より少し稲穂寄りを持って、力を加減しながら右と左半分に分ける。束ねられた部分から下はそのままである( || → Y といった感じ)。このとき、できるだけ左右対称になるようにする。
そうして分かれた部分を下にして〈さでうま〉に掛け、他の稲束とのすき間があかないようにぐいぐいと寄せて詰める。

大人たちは作業のペースを上げ、残りの分の〈さでうま〉を組み立てつつ、〈さでがけ〉も進めていく。さらに、「今日中に終わらせてしまおう!」とばかり、刈り残した部分を一掃するために、助っ人として文明の利器・バインダーが登場した。吉成がバインダーを手で押して、刈り残した畝を進んでいくと、斜め後方に結束された状態の稲束が積みあがっていく。これまで一束ずつ手で刈り、結んでいた地道な作業が嘘のように、みるみるうちに終わっていく。
改めて、機械の便利さと手作業の大変さ、そして一つ一つの作業の意味について実感させられた。子どもたちも、普段見たことのない機械が働くところが見学できて面白かったようだ。

大人たちは一心不乱に稲束を積み、運び、〈さでうま〉にかけ続けた。子どもたちもしばらくの間一緒に〈さでがけ〉をしたり、さっきの鬼ごっこの続きをしたりしていた。
やがて時間いっぱいとなり、〈みどり幼児園〉グループはお昼を食べるために、昼食場所の農家民宿ココへと一足先に戻っていった。

「これからの田んぼ」に残ったメンバーもお腹がすいてきていたが、とにもかくにも目の前の作業を終わらせないことには、安心してお昼が食べられない。ますます大車輪で〈さでがけ〉をし続け、落ち穂を拾い、すべてが終わったときには手元の時計は14時半過ぎを指していた。胃袋はとうに空っぽで、昼食のメニューを想像しただけでパブロフの犬のようによだれが口の中にあふれ出てくるのだった。

4.稲刈りツアーのまとめ

やっと食べられた昼食のカレーや冬瓜の煮物といったご馳走の数々が最高においしかったが、やはり一番のご馳走はなんといってもご飯だった。ふっくらとつやのあるお米を口に含みつつ「天栄村のお米はなんておいしいのだろう」と感嘆し、「天栄村のお米はなぜこんなにおいしいのだろう」と不思議にも感じた。その刹那、昨夜の懇親会での一幕を思い出した。

前日の夜、幡谷自然農園で「田んぼを楽しもう」「上農になろう」ツアー参加者の合同での宴席が催された。南三陸の若き漁師・小野さんが地元産のタコを持ってきて茹で、牡蠣のアヒージョなどとともに参加者一堂にふるまってくれたのだが、そのシンプルな茹でダコがあまりにも美味だったので、「このタコは、どうしてこんなにおいしいんですか」と思わず聞いてみたところ、こんな答えが返ってきたのだった。
「食べてるものが違いますから、海外産のタコとは。このタコが食べてる三陸の海の生き物が、まず、うまいんです」。

もちろん、丁寧に、細やかに人の手がかけられているからタコも米もうまいのだということは私にもわかっている。タコならば保存技術や漁獲法、米ならば圃場の管理や栽培法など、実に多くの技術・経験の蓄積、そしてそれらを扱う人々の想いといったことが、食べ物を最高においしいものにしているとはいえないだろうか?
それはそれとして、おそらく天栄米も南三陸産のタコと同様、小野さんの言葉を借りれば「食べてるものが違う」。清浄な水、澄んだ空気、そして肥沃な土、まずそれが「おいしく」なければ、そこから生み出されるものも美味とはならないだろう。
天栄村は、元より豊かな土壌の土地ではあるが、不運にも3.11の原発事故の汚染を免れることはできなかった。しかし、被災直後から絶え間ない除染と安全への取り組みによって、天栄村産の米は今日まで検査で〈放射性物質N.D.(検出限界値以下)〉が達成されている(天栄村での安全・安心への取り組みの詳細はこちらの記事をご覧ください)。

「これからの田んぼ」や「再生水田」をはじめとした天栄村の田んぼは、震災からの復興を願う村の人々の努力と創意の結晶のような土からなりたっている。その土が、今年も本当においしいお米を育み、私たちは宝物のような新米を食べることができる。
そのことに感謝しながら、このレポートを締めくくりとしたい。

文責:島村 健(TFC広報・WEB担当)

※みどり幼児園の皆さんの写真は、園長先生の許可を得て掲載しています。

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