6月2日朝10時、晴れ。天栄村・上松本。ウグイスやホトトギスのさえずりがこだまするなか、妙見山を間近に望む「これからの田んぼ」に、続々と車が、人が集まってきた。
TFCの稲穂メンバー・早苗メンバー一同と、米作りの道ひとすじ三十年越えの大ベテランの農家さんから、何回も田植えに参加している漁師さん、そして今日はじめて田んぼに入るというシティーボーイ(会社員・大学生・高校生)たちまで、遠くは東京横浜方面から、あるいは南三陸町から、そして地元・天栄村から集まった総勢二十人ばかりの老若男女があぜ道に並んで、今から始まる田植えの始まりを今か今かと待っていた。
近年では、水田に苗を植える作業は「田植え機」を使って行われることが多く、田んぼ一枚をまるごと手で田植えをすることは地元の農家(=TFC稲穂メンバー)の人々にとってもとても珍しいそうだ。
「温故知新」をテーマとする「上農になろう!」プロジェクトでは、昔の米作りで行っていた【田植え・草取り・稲刈り】に至るまでの作業を、機械ではなく人の手で体験することを通じて、先人たちの体験をたどり、知恵を学ぶことをめざしている。
一人の参加メンバーの作業服の袖に、一匹のアマガエルが飛び乗ってきた。居心地がいいのか、くっついて離れない。ここ「これからの田んぼ」は化学的な農薬を一切使っていないので、カエルやタガメといった生き物がたくさん住んでいる。
中にははだしで足を踏み入れるとたちまち血を吸いに寄って来るにっくきヒルの姿も見えるが、これは水が清浄で、水田が自然の状態に近い証拠だ。
あいさつのあと、稲穂メンバーから植え方の要領などの簡単なレクチャーがあった。そして人間の身長をゆうに超える大きな木製の道具「ガジ引き」を手にした、古式農法に詳しい地元の農家・宗方さんが、あぜから田んぼへと入っていく。
「ガジ引き」は手で田植えをしていた時代によく使われていた、稲を植えるべき場所の目印をつける器具だ。これを持ってまずタテ方向に、それが済んだらヨコ方向に田んぼを歩きつつ格子状に線を引いて、タテヨコの線が交わったところが稲を植える場所となる。
※なお、苗と苗のタテの間隔を「株間(かぶま)」ヨコの間隔を「条間(じょうま、「じょうかん」とも)」という。
早苗メンバーやゲスト参加の方も次々と挑戦して……田んぼの泥を歩きながらバランスを取ってまっすぐに線を引くのだが、なかなか難しそうだ。
ガジ引きが終わったら、あらかじめ育苗箱から取って用水路に浸しておいた苗を手に、各々受け持ちの条を目指して田んぼに足を踏み入れる。
ある人は意を決して、またある人はいつものように悠々と。つま先からかかとへ泥の感触が伝わってくる。腰をかがめ、苗を束から三~四本ほどつまんで、狙った場所に植え込んでいく。余計な力はいらないが、慣れない田んぼの泥の一点を目指して苗をまっすぐに植えるには集中力が必要だ。
次から次へ、肩を並べて、体の赴くままに無心に苗を植えていく。
最初に持ってきた分の苗を全部植えてしまったら、稲穂メンバーが新しい苗を植える人の前方に投げて補充してくれる。キャッチボールの要領で、投げられた苗を直接受け取る人もいる。参加メンバーのうち若い何人かははだしになって、泥だらけになりながら無我夢中で植えている。やがて、ジョークを言ったり雑談したりする余裕が出てくるくらい、初めての人たちも次第に作業に慣れてきた。
今日この田植えに参加したメンバーのバックグラウンドは見事にばらばらだ。大学教授、大学生・大学院生、高校生、コピーライター、地域移住コーディネーター、漁師、若き地方議員、そして地元の農家の方々…といった具合だ。この田んぼがなかったら、お互いに一生出会わない可能性の方が高いかもしれない、そんな人々が【上農になろう!】というテーマのもと、協力しあって田植えという一つの手作業に打ち込み、そして楽しんでいる。
笑いながら、しかしあくまでも真剣に手を動かし続ける参加者の面々を見ていると、今日初めて顔を合わせた人同士がこんなふうにいい表情を見せあうことって、けっこう珍しいことなんじゃないだろうか?とふと思った。
この「これからの田んぼ」は、そういう場所なのだ。
作業開始からおよそ一時間弱。受け持ちの個所がひと段落した人が多くなってきて、やがて休憩時間になった。この時点でおよそ七・八割は終わっていただろうか。差し入れのおやつは寒天と、アイスキャンデー、そしてライチ。カラカラに渇いたのどを雪解けのように潤していく。
汗を拭いて長靴を脱ぎ、素足を用水路に浸しながらアイスキャンデーにありついていると、釈迦堂川のせせらぎに乗って涼しい風が吹いてきた。
……よし、もうひと頑張り!
休憩後、残った部分を植え終わって、今年の田植えは終了。水門を開くと、さらさらときれいな水が用水路から田んぼに入ってくる。
すべて人の手で植えたために不揃いな場所もあったり、足跡がたくさんついたりしていて、整然と苗が植えられているお隣と比べるといかにも素朴な印象を受ける「これからの田んぼ」。でも、自分たちの力で田植えをしたという確かな手ごたえがあった。
これから、この田んぼにどんな稲穂が実るだろうか。秋の光景や炊き上がったお米の味をも想像しながら、土手に腰掛けてぼんやりしていると……
急に鈍いかゆみを感じた。太もものあたりに赤い孔状の傷ができて、血が出ていた。びっくりしたが、全然痛くはない。どうやらはだしで入ったために、ヒルに吸い付かれた痕らしい。それにしても、後から猛烈に痒くなってきた。蚊に刺されたのとはぜんぜん違う、これまで味わったことのないような、妙にリアリティのある痒さだ。
まあ、これから世界で一番おいしいお米を食べさせてくれるのだから、ここの主たちには足の血のひと絞りくらい献上したほうがいいのかもしれないな。
文責:島村 健(TFC広報・WEB担当)